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【連載】人的資本経営の実務を全体的に捉えるために(3) 日本における人的資本経営の制度の特質 ~意識すべき法令上の制度

公開日:2024/02/02

人的資本経営は人材戦略をより有効に立案し遂行するための経営のツールですので、どのように行い、何を開示するのかは基本的に企業の任意であるという前提があります。

しかしながら、任意的な人材戦略や開示内容ということには例外があります。日本においては、育児期の女性が仕事を休業してから実質的に復帰するのが難しかったり、一社に勤め続けることを良しとするようなキャリアの規範が大きかったりといった、「ライフステージと個人の特性に対応したキャリア自律」の課題が非常に大きいため、こうした課題と繋がるような人的資本の要素については、任意ではなく検討や分析、さらに開示までが義務になっているのです。

こうした、法制度上の義務になっていたり制度上採り上げられていたりするような重要な内容は人的資本経営においては「制度開示」と呼ばれ、任意である他の事項とは別の扱いになっています。制度開示には下記のようなものがあります。繰り返しになりますが、これらの制度開示の主題はほとんど共通しており、「ライフステージと個人の特性に応じた活躍」を目指すものであるということです。

こうした雇用関係の制度と開示が一体的に定められた仕組みは珍しいものと言われ、日本の独自色の強いものだと言われています。

次に、制度開示の一覧を示します。

制度開示(法令上定められた人的資本の情報開示)の一覧

1.有価証券報告書での人的資本関係の情報開示を義務化
(上場企業対象、2023年3月期決算から開示、金融商品取引法)

人的資本に関する情報として社内環境整備方針・人材育成方針、多様性として、男女賃金格差・男性育休取得率・女性管理職比率等を記載することになっている。

2.雇用関係の法令や制度の改正で定められている事項

女性活躍推進法

一般事業主行動計画・情報開示義務として、選択式の項目から女性の活躍に関する、採用や内部登用等に関する情報を開示する、また女性活躍に関する計画を開示する

101人以上は義務

男女賃金格差の開示について301人以上は男女賃金格差の開示義務が追加・開示項目数が増加

ほか努力義務

次世代法

一般事業主行動計画義務・情報開示

育児休業等の支援に関する計画を開示する、選択式の項目から育児休業の取得率等の情報を任意で開示する

101人以上は義務

ほか努力義務

若者雇用促進法

採用活動時に求職者やハローワークから聞かれた場合に、採用者に関する情報や経営・育成等に関する情報を開示する

規模要件なし、努力義務

育児介護休業法

男性育児休業所得率の開示義務が、次世代法と同趣旨で個別に規定されている

1001人以上は義務

副業ガイドライン

副業の方針等の開示

規模要件なし、全企業推奨

労働施策総合推進法

中途採用比率の開示

301人以上は義務、他は努力義務

健康経営

健康に関する情報の発信が推奨されている

健康経営調査は結果が開示される

規模要件なし、参加は任意

下記2点は有価証券報告書に記載される項目として、2022年に法改正/省令改正により付加された。

・男女・正規/非正規社員の賃金差の開示義務
(301人以上の企業は義務、他努力義務 女性活躍推進法 2022年7月より施行され2023年7月以降決算において開示)
・男性社員の育児休業取得率の開示義務
(1001人以上の企業は義務、他努力義務 育児介護休業法 2023年4月以降に開示)

前提として、近年増えている「措置義務」が定められている法改正である育児介護休業法・高齢者雇用安定法・障害者雇用促進法も、制度趣旨が人的資本経営と強い繋がりを持っており、広い意味での制度開示と一体的なものであると考えられる。

育成・リスキルの強化についての政策の強化として、人材開発支援助成金の強化した内容が定められた。その他社内検定制度等も行われている。
これらは一定の計画内容が社内で広報されることが要件となっており、社外に向けて事例として発信などがされるため、制度開示的な色彩があると言える。

人的資本の有価証券報告書の開示内容や、指針の内容と制度開示の関係性

有価証券報告書の記載事項である男女賃金比率の開示は女性活躍推進法に、男性育休の比率の開示は次世代法と育児介護休業法の規定です。

有価証券報告書の人的資本経営の開示事項ははこれらを引用する形で定められています。これらは性別によるライフステージに関わる問題、またその中での家庭の形成に関する育児が、大きく日本において労働の価値向上、賃金水準、雇用の存続など様々な事項へ悪影響を及ぼすという問題意識から、それぞれの状況に応じた、当事者のキャリア自律を促し、効果的に働くことを可能にするために定められた法令です。

有価証券報告書の開示事項においては、社内環境整備指針・人材育成方針は総括的な定量・定性的な記載が求められますが、その内容を考える上でも「多様性」として開示が定められている項目が重要になります。「多様性」の項目では、男女賃金格差の開示・女性管理職比率・男性育児休業取得率の開示が定められています。

これらの多様性に関する項目は雇用関係の法制度と全て関係があり、労働関係法の中でも、各企業で実態把握と課題設定をして、施策とその結果を含めて開示することが求められています。

結婚や育児の必要性が生じた時に仕事を存続して育児を継続するか、家庭を一時期重視して仕事を休業・退職するか、自律的な判断が必要です。その後も、家庭での夫婦や家族の協働によって雇用を存続しやすくすることや、一度仕事を離れた後も再チャレンジが可能な働き方にしていくことが重要であると言えます。この課題に対して雇用関係で行われている施策が今回の開示においても重視されているということです。

近年の雇用関係の法制度はいかなるライフステージでも再チャレンジ可能なキャリアの自律の支援が制度趣旨ですので、同じ趣旨を持つものは上記の法令に留まるものではなく、キャリアアップを促す法制度や雇用環境の整備に関する法令など、働き方改革の時期から多数の制度が施行されてきました。

有価証券報告書には項目別の記載義務はありませんが、制度開示となっている中途採用比率の開示や副業方針の開示などは、人材育成方針や社内環境整備方針と強くかかわりを持つものだと考えられます。

また、こうした副業方針や中途採用人数の開示についても、制度趣旨としては「ライフステージと個人の特性に対応したキャリア自律」を目指すものであるということです。

日本の企業の発展の弊害として、新卒一括入社で採用されることが多い正規社員と非正規社員の待遇差が大きく、その壁がなかなか乗り越えられないことが言われてきました。
また転職がまだなお諸外国に比べて比率が低く、キャリアが単線的で、かつ会社に勤務すると、勤務先・職種を移動することが考えにくくなり、仕事へのエンゲージメントも低下しやすいということがデータ上も明らかになっています。

制度開示の様々な法令は、こうした問題に対して、中途採用比率や副業への方針を開示し、中途採用を抑制したり副業を深い検討なく一律禁止したりすることなどがなくなり、「ライフステージと個人の特性に対応したキャリア自律」を可能にする、後押しする施策として定められたものです。
下記は内閣府「人的資本可視化指針」の制度開示の説明箇所です。これ以外にも雇用関係の制度開示には多数言及があります。

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また、こうした人的資本関係の情報だけではなく、既に前回・前々回に見たように日本における人的資本経営に至るまでの政策の経緯が非常に重要です。
「ライフステージと特性に応じたキャリア自律の支援」は、「働き方改革」の一連の制度改革から今まで、一貫して雇用関係の法制度の目的の大部分を占めており、さらに広く社会的な制度改革もこうした目的を持っていたものと言えます。人的資本経営は「突然出てきた新しい動き」では全くなく、こうした制度的な流れの中にあります。

特に、雇用関係の制度の流れで言えば、働き方改革で行われた社会的な基盤となる労働法制の整備が一巡したことから、次の段階で必要になる、各企業の課題に応じた整備の徹底が求められるということで、この結果として人的資本経営に関する様々な制度が立案されたのだと言えます。こうした視野をもって実務を行うことが重要なポイントになります。

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