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【連載】人的資本経営の実務を全体的に捉えるために(1) 制度の整理と政策の流れ

公開日:2024/01/31

人的資本経営については、2023年3月決算から上場企業において人的資本の情報開示が行われました。

しかしながら、企業の管理部門の方にお聞きすると「人的資本経営の実務の全体像が明確でない、どのように優先順位をつければいいのか曖昧である」という意見をなお多くお聞きします。

人的資本経営の実務が今ひとつ分かりにくい理由の根本に、人的資本経営には次の1・2の全く違う2つの源流を持っていることがあります。これを理解することで実務の見通しが良くなることがよくあります。

2つとは

1 法律や制度を改善し、少子高齢化にまつわる問題を多様な働き方の実現で克服する「働き方改革」などの雇用に関する制度改革の流れ
2 ESG経営(企業が環境・社会・法令遵守などを重視すべきとする経営の考え方)や無形資産の価値測定を重視する欧米で始まった流れ

の2つです。この2つのどちらを重視して制度や発信内容が作られているかで人的資本経営で重視するポイントや論調が違うため判別をすることで分かりやすくなります。
行政の発信主体も分かれており、1の国内の雇用関係の制度改善に関する発信は厚生労働省・金融庁などから行われることが多く、2のESG経営や無形資産を重視する流れは経産省から発信されることが多いと言えます。

たとえば有名な資料である「人材版伊藤レポート」においては上の2が主にフォーカスされており、リスキルや人材ポートフォリオが重視されていますが、1の女性活躍や多様な働き方などはほとんど論じられていません。
しかしながら、「新しい資本主義の実行計画」では1の雇用関係の政策が多く語られ、有価証券報告書の開示事項や人的資本可視化指針ではどちらかというと1が重視され、2も調和的に書かれています。

また1の「多様な働き方」を実現する働き方改革の施策についてはここ10年以上、様々な人事上の法律や制度が改正されてきました。女性活躍推進法・育児介護休業法・次世代法・副業ガイドラインなどによる人的資本経営の整備はこの系統に属するものです。

2のESG経営や無形資産を重視する欧米の流れの中では、企業の社会責任としての人権保障や平等性を確保し、さらに人が企業でどのような付加価値を持つのかを計測するという趣旨を持つ動きになっています。

こうした2つの流れが、特に2020年以降に国内で整理され、現状の制度に繋がっているというイメージを持つと、人的資本経営の制度全体を漏れなく捉えることができ、理解しやすくなります。次章以降、こうした制度全体を概観し、人的資本経営の全体を整理することとします。

1990~2000年代
日本では雇用の見直しが進み、欧米でESG経営の流れが起こった時代

この時期は、日本でも欧米でも、1と2のそれぞれ起こった時期でした。
この時期は、日本においてはバブル崩壊後に人事慣行が見直され、成果主義やコンピテンシーの考え方などが様々にトライアルされました。また、雇用における男女の平等やセクシャルハラスメントの禁止などの考え方が広まり法制化されたりしました。少子高齢化の社会的な影響も本格的に議論され始めます。人的資本経営の根本である多様性の実現と戦略人事の根本的な問題意識が既にある程度出てきていた時期に当たります。

この時期に欧米では、エンロン事件やリーマンショックなどを経て、社会責任を顧みない企業経営や利益市場の資本主義の方向転換をする論調が出始めました。
その他国際的な開発等について企業でも責任ある視野を持って行うことが重要であるという論調が非常に強まりました。
こうした流れを受けて、国連でPRI、責任投資原則が提唱されます。こうして現在のESG経営に繋がる企業の社会責任を重視する流れが欧米で起こってきています。

2010年代
日本では多様な働き方への政策が始まり働き方改革が行われ、欧米ではESG経営が進み、企業評価や主要な価値基準になっていった時代

2010年代には日本では、雇用関係の法令や制度が、全世代の活躍促進という目的での一層の整備が始まりました。健康経営や女性活躍推進法など、今でも強化されている、企業が自社の課題設定を行って改善していくタイプの政策が整備され始めました。
2020年代後半には働き方改革が始まり、多様な働き方を成立させるための企業の課題設定と開示義務が定められる法令の整備が進みました。

欧米では、ESG経営についての制度の整備が進み、開示基準の指標化が進みました。GRIスタンダード・SASBスタンダードなどの指標が整備されました。
これらは、社会責任となる企業の産業上の要素や人材の管理について全面的に事実開示やチェックを行うための体系であり、詳細な基準を持っています。現在の、国内においても大手企業で情報開示のために活用されることが多い指標群となります。

これらとは少し違う流れとして、GAFAなどの無形資産が企業価値で大きな価値を占める企業群が生まれてきました。ESG経営と呼ばれる今までに見た流れは、企業の活動の社会責任を問う・開示するということが主な内容でしたが、また別の意味で、無形資産の価値評価を行うための基準が必要であるという論調が強くなっていきます。

現在、人的資本経営の指標として国内でもある程度の知名度のあるISO30414はこうした流れの中で定められたものです。
人材の活用効率や調達率を重視した指標であり、企業の価値向上や資産価値の測定に関する観点が整備されています。こうした様々な指標が整備されたのが欧米に置けるこの時期の特徴であり、人的資本の全体を捉えるためにデータドリブン・事実の把握と計量が必要だということはこの辺りから来ています。

人的資本経営の制度や政策を区分けして捉えることの重要性

前章までの流れを受けて欧米でも日本でも、人的資本の可視化や、人材戦略に基づいた企業の雇用に関する質の向上等の論点が急速に進んできたものと言えます。
また「日本の人的資本経営の動きは欧米に比較しても遅れておらず、むしろ進んでいる」というような論がたまに見られますが、これは今までに至る流れを見れば理由は明らかであり、海外でESG関係の整備が行われていた時期に、国内では別の文脈で働き方改革などの雇用関係の制度の整備が先行して行われているためです。
この中の制度がESG経営では見られなかった観点を整備している面があり、特に安全衛生管理制度などを中心として、海外よりも進んだ制度も様々に存在します。

以上のように、欧米のESG経営や無形資産の重視の流れと国内で進められた雇用制度の整備の2つの流れがあるのですが、特に経済産業省の主管する発信情報や、経営学・会計学系の専門家の方による発信情報は、欧米のESG経営や無形資産の把握の観点が非常に強いことがあり、注意が必要だと思います。

以上のように、人的資本経営に関する実務を区分して制度の経緯について整理することができます。現在の人的資本経営に至る流れを理解した上で現在の実務を整理すると取組みの全体像や位置づけが理解しやすくなります。

次稿では、今までに見たような区分に基づいて2020年以降の、人的資本経営の中での主要な政策や出来事について、どのように分類されるかということを明確にしていきます。こうした視点を持つことで、人的資本経営の実務や考え方について整理することができ、実務の効果性も高めていくことができるでしょう。

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